沿革・歴代主任司祭

沿 革

旧円山教会

旧円山教会

円山教会は、1934年(昭和9年)、札幌教区の初代教区長であるキノルド司教が現在地に教会建設用地を購入したことに始まります。 教会建築に先立って翌年に「北11条天主公教会桑園日曜学校」を近所の借家に開設し、当時北11条教会の主任司祭であったアウグスチノ神父が付近の子ども達を集めて勉強会を開いたのが宣教活動の始まりです。

1937年に教会が献堂されて、初代主任司祭にアウグスチノ神父が就任されました。当時の信徒数は120人でした。

現在の信徒数はおよそ900人ですが、主日のミサに集まっているのは約300人ぐらいになります。

1937年12月5日 献堂式。日本26聖人を保護の聖人とする。
1954年4月 さゆり幼稚園 開園
1959年10月 ドイツから購入した鐘の奉納
1975年8月 教会バザー始まる(後に友愛バザーとなる)
1979年11月 新聖堂完成、献堂式。
1987年11月 教会創立50周年 感謝ミサ・祝賀会
2010年11月 教会大改修 完了

カトリック円山教会の歴代主任司祭

聖堂の様子

聖堂の様子

教会正面

教会正面

初代 1937年~1956年 アウグスチノ・ティシュリンゲル師
2代 1956年~1967年 浅井 正三師
3代 1967年~1978年 荒木関 孝師
4代 1978年~1988年 地主 敏夫師
5代 1988年~1989年 太田 哲也師
6代 1989年~1998年 近藤 光彦師
7代 1998年~2003年 荒木関 巧師
8代 2003年~2004年 勝谷 太治師
9代 2004年~2005年 橋本 力師
10代 2005年~2010年 エミール・デュマス師
11代 2010年~2014年 上杉 昌弘師
12代 2014年~ ケン・スレイマン師

カトリック円山教会の保護の聖人「日本26聖人殉教者」について

日本26聖人殉教者

日本26聖人殉教者

聖フランシスコ・ザビエルが日本に上陸した1549年から、キリスト教会は信長の時代を経て発展し、主に九州と京都一帯に広まりました。豊臣秀吉は最初は大阪に神学校のための土地を与えるなどキリスト教に理解を示していましたが、九州征伐の時に突然宣教師を国外に追放したり、大阪・堺・京都の教会を破壊して行きました。

この迫害は全国に広がり、9年間に140もの教会が壊されたと言います。しかし宣教師たちは目立たない方法で宣教を続け全国には59人の司祭と97人の修道士がおり、日本人修道士も66名が働いていました。信徒数は15万人にものぼりました。

1596年、秀吉は「サン・フェリペ号事件」を契機に宣教師は外国軍隊の回し者であると言う讒言を信じて全宣教師と全信者を死刑にする命令を出しましたが、家来の計らいによって結局、大阪・京都周辺のフランシスコ会の宣教師(スペイン人4人、メキシコ人1人、インド系1人、イエズス会3人)そして信者15人が捕らえられて死刑の判決を受けました。これらの中に12才のルドビコ茨木、14才のトマス小崎、13才のアントニオも含まれていました。彼らは翌年1月3日、京都で耳を切られ、信者の多い長崎まで1200kmの寒い冬の道を1ヶ月かけて歩かされたのです。

途中、殉教者たちの世話をした2人も加えられて26人が長崎の刑場に引き立てられました。

長崎の奉行は、せめて子ども達だけでも救おうと手を尽くしましたが、信仰を捨てる事が条件でしたので、全員の死刑に踏み切らざるを得なかったと言われています。西坂の丘に立てられた26本の十字架の上で殉教者たちはそれぞれに聖歌を歌ったり祈ったりしながら喜びのうちに天に召されました。

この殉教者たちの血は16世紀の教会の種子であり、今の教会の種子であり、未来の教会の種子ともなりました。(C.バリョヌェボ著「ミサの前に読む聖人伝」より)カトリック円山教会はこの聖人たちを保護の聖人として戴いています。

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